ソフィーが目撃した祖父の秘密。ノルマンディーにあるソニエールの別荘で繰り広げられるシオン修道会の謎の性秘儀の情景。この聖婚秘儀の場面は作品全体の 中でもきわめて重要な位置を占めていて、ドラマの序盤ですでに暗示されながら、全貌が明らかになるのは下巻に入ってからであり、読者の関心を惹きつけ続け るキー・モメントの役割を果たしている。作品が映画化された場合にも、このシーンは重要なアクセントとなるに違いなく、映画化を前提としている作者ブラウ ンは、この映像のアイディアに自信を持っている様子が窺える。と言うより、映画化が意識されていることを読者が了解するのは、まさにこのミステリアスで淫 靡な性秘儀の場面の描写であり、一読して、忽ち頭の中にハリウッド映画の荒唐無稽な一場面が出来上がってしまうのだ。
男 女が交互に並んで輪を作っている。黒、白、黒、白。女たちは美しい薄布のローブをふわりと波打たせ、右手に載せた金色の玉を掲げて声を合わせる。「はじ め、わたしはあなたとともにあり、聖なる曙光に包まれて、黎明にこの胎(はら)からあなたを生み落としたのです」。女たちが球をおろし、全員が忘我の境に 浸るがごとく体を前後に揺さぶった。輪の中心にある何かを崇めているらしい。(中略)「あなたが見つめる女は愛そのものです!」女たちは叫び、ふたたび球 を掲げる。男たちが応える。「その女は永久(とこしえ)を住みかとします!」
詠唱がもとの調子にもどる。また勢いをます。いまや雷鳴を思 わせるほどだ。さらに速まる。全員が輪の内側へ踏みこんで膝を突く。その瞬間、ソフィーは一同が見守っていたものをついに目にした。円の中心に設えられ た、装飾を凝らした低い祭壇に、ひとりの男がいるのが見える。全裸で仰向けに横たわり、顔を黒い仮面で覆っている。(中略)白い仮面をつけた全裸の女が、 豊かな銀色の髪を背中に垂らして、祖父にまたがっている。完璧にはほど遠い丸丸としたその体を、詠唱に合わせてリズミカルにくねらせながら-祖父と交わっ ている。
(下巻 P.109-110)
詠唱がもとの調子にもどる。また勢いをます。いまや雷鳴を思 わせるほどだ。さらに速まる。全員が輪の内側へ踏みこんで膝を突く。その瞬間、ソフィーは一同が見守っていたものをついに目にした。円の中心に設えられ た、装飾を凝らした低い祭壇に、ひとりの男がいるのが見える。全裸で仰向けに横たわり、顔を黒い仮面で覆っている。(中略)白い仮面をつけた全裸の女が、 豊かな銀色の髪を背中に垂らして、祖父にまたがっている。完璧にはほど遠い丸丸としたその体を、詠唱に合わせてリズミカルにくねらせながら-祖父と交わっ ている。
(下巻 P.109-110)
『ハ ルナプトラ』とか『インディ・ジョーンズ』の中のワンカットが連想される。このシーンが撮影されたら、短い5秒間くらいの刺激的なカットが予告編の中に瞬 間映像として挿入されて使われるだろう。静かな基調のミステリー映画に扇情的なインパクトを添えるプロモーション効果がある。シオン修道会なる秘密結社が 本当にこのような儀式を実践しているのかどうか疑わしいが、小説のストーリーの中ではいかにもありそうな話に出来ている。この性秘儀が描述される前段にラ ングトンの長舌のセックス講義が入っていて、読者に向かってセックスの神秘と尊厳が雄弁に説得され、古代人の素朴な性観念の普遍的意義が強調されているた め、読者はこのシオン修道会の性秘儀場面の描写に偏見を持たず(面白可笑しく)接することができる。そういう仕組みになっている。
通常ならグロテスクに感じられるところを、ハーバード大学宗教象徴学教授の権威による熱弁で啓蒙されるために、読者はシオン修道会の呪術的な性崇拝儀式を神聖なものとして受容するのだ。それはともかく、興味深いのはこの「聖婚」という概念で、この問題は、前回述べた「グノーシス獲得としてのセックス」 という観念とも深く関わり、読者はこれを簡単に見逃すことができない。なぜなら現代人はセックスの意義について解脱を求める求道者であるからだ。性に精神 と肉体の救済を求める信仰者となった現代人にとって、聖婚の概念と歴史的実体はひたすら興味深く意義深いもののように見える。聖婚とは王が神と契ること だ。神の霊を感染した聖娼と王が契ることで、王は神の霊エネルギーを身体に帯び、地上における神の代理者として地上を統治する。
天 空の支配者である神と地上の支配者である王は、聖娼の身体を媒介して繋がり、王は神霊能力を分与される。聖婚によって即位が根拠づけられる。古代メソポタ ミアではジグラッドの上の神殿で聖婚の儀式がとり行われた。『ダ・ヴィンチ・コード』では古代エジプトの聖婚儀礼が紹介されている。が、実はこの宗教儀式 は古代日本にもある。新天皇の即位式である大嘗祭の御衾秘儀がまさにそうで、 天皇は正殿にその夜降臨した天照大神と初穂と共食し、御衾の中で共寝して合体する。この共食共寝の秘儀を通じて天皇は皇祖神の正統な継承者となり、大地に 豊穣をもたらす穀霊エネルギーを授受される。共寝合体の真相については諸説あるようだが、伊勢神宮の斎女(いつきめ)が聖娼として新天皇と天照大神を中立 ちしたという説(折口信夫?)が説得的だ。
こ の大嘗祭の御衾秘儀の知識(情報)をどこで得たのか、よく思い出せない。梅原猛の本だったような気もするし、そうでなかったような気もする。最初に読んだ ときは衝撃だった。記憶にあるのは、御衾秘儀を含めた大嘗祭の一連の夜の儀式が、全て真っ暗な闇の中でとり行われるということだけ。立会人や証人などは誰 もいない。今回、検索エンジンを回して確認を試みたが不首尾に終わった。『ダ・ヴィンチ・コード』の聖婚秘儀の説明を読みながら、古代人の性観念が全世界 で共通であった事実を考えさせられた。この歴史的事実はグノーシス獲得としてのセックスの思想を補強する。思い出したのはもう一つあって、それは面白い話 ではないので紹介を憚られるが、例の統一教会の集団婚とそれに先行する邪悪で不快な性秘儀の話である。噂では教祖と女性信者が、教祖の妻と男性信者が交接合体して神霊授受を果たすらしい。
桜田淳子の顔と、そして女性週刊誌に書かれていた教会への入信動機を思い出してしまった。
・御衾秘儀
錯乱狂記
天皇霊について二三の事(メモ)
天皇霊とはあまり聞いたことのない言葉かもしれないが、民俗学の創始において折口信夫博士が唱 えた興味深い説の一つである。小野氏に関連するところはないのだが、藤原氏の隆盛と他氏の没落の 元となったことなのでここに置くこととした。
天皇霊とは、狭義にいえば天皇家の祖霊である。祖霊はイエの祖先の御霊の集合体で、どのイエに も個々人にも存在し、さして特別なものではないが、天皇家の祖霊は大大和のうちでも最も力の強い祖 霊であるとみなされ、とくに「天皇霊」と呼んだ。天皇霊は天皇に即位するものに宿る。返していえば、天 皇になるにはその霊を宿さねばならない。そしてそれを宿す儀式が即位後の秋に行なわれる「大嘗祭」 なのである。
この大嘗祭の内容は秘中の秘で明らかにはされていない。しかし、ある程度のことは漏れ伝わってい て、それによれば天皇は殿中で三つの儀式を行なうとされる。
一、「霊水沐浴」。白い帷子(天羽衣)をきて水風呂に浸かり、浴槽の中で着ている物を脱ぎ去る。
二、「神人共食」。その年、悠紀田と主基田から取れた米を神と共に食する。
三、「御衾秘儀」。衣に包まり眠る。
この三つである。
直接的に見ると、霊水沐浴は禊であり、天羽衣を脱ぎ去るのは地獄の「脱衣婆」が衣を剥ぎ取るのと 同じで、この世の穢れをすべて衣に移してしまい綺麗な体になることが目的である。天羽衣の名は「日 御子」のイメージからそう呼んだのであろうか、天皇が異人であることを強調している。そして神人共食 をすることでその「ケ」、つまり自然の力をその体内に取り込む。また、御衾秘儀で神と共に添い寝する ことで「神婚」をするのである。
異見として、これを「誕生の模倣」と見る向きもある。つまり霊水に浸かり天羽衣を脱ぐことにより「羊 水と胞衣からの離脱」を、「神人共食」で「歯固め」を、衣に包まることで「おくるみ或いはむつき」をあら わしているというのだ。確かに「御衾秘儀」は『古事記』の「天孫降臨」に見られる「真床覆衾」(ニニギの 命があまりにも幼かったので天から降ろすときに包んだオクルミのこと)に比定されるのは揺るがないと ころだと思われる。多面的に見た場合そういう意味合いも含まれているのは否定はできないが、まずは 単純に見るべきであろう。
最後の三、は古代中国にも見られる風習であると白川静先生が述べられているのを読んだことがあ るし、古代バビロニアにも神降ろしの巫女との「神婚」による王位継承がなされたことをご指摘いただい てもいるので、おそらくこの御衾秘儀は相手のあって行われたものである可能性もある。ではこの相手 は誰か。思うに「伊勢斎王」なのではないだろうか。伊勢斎王は天皇の即位のたびに新しくなる。仕事は といえば伊勢神宮に天皇の代わりに年三度の奉幣をするだけである。だがこの斎王にはもっと重要な 仕事、「神降ろし」をするための、天皇霊の依り代であったのではないか。柳田國男先生は「神を降ろす には巫女とこの言葉を伝える司祭が必要であった。」と述べられている。これは天皇と斎王の関係をよ くよくあらわしている。斎王は天皇霊をその身に降ろし、天皇はその口から発する言葉に従い政(まつり ごと=祀り事)を行なう。『魏志 倭人伝』に描かれた卑弥呼とその弟の関係にそっくりではないか。(斎 宮と天皇の「神婚」は近親姦というタブーを神を介することで神聖化している。)折口信夫先生によれば 「神婚」は神降ろしの巫女との添い寝と、先帝(の骸)との添い寝が考えられるとおっしゃっておられる。 エロスとタナトスが交錯する儀式。いずれにしても、いつまでそのようなことをやっていたかは知る由もな く、その後はもっと形ばかりになり、先帝の御衣を身にまとうばかりとなったのだろう。
これにより分かることは、天皇には二度の即位儀礼があるということである。はじめは「即位礼」。そして「大嘗祭」。即位礼は中国の皇帝の即位式を真似たもので、いわば対外的に見せる「昼の儀」であ る。一方、大嘗祭は夜に秘して行なわれる「夜の儀」で、天皇を天皇足らしめる為の儀式はこちらなの である。
ではこの天皇霊はどのように創造されたのか。おそらく大化の改新以後、天智天皇から聖武天皇の 在位中に、祭祀を司っていた中臣氏により成形されたと推定される。それまで一大王家の祖霊であった 神を様々な工程を経る事で、日本全体を覆うまでの巨大な霊体に仕立てるのだから並の作業ではなか ったはずだ。それは取りも直さず「天皇霊=国家神」の創造であり、その先には「現人神」という危うい 一面も内包して誕生した思想であった。
大化の改新以前でも天皇家(正しくは「大王家」であるが)の祖霊は特別な扱いを受けてきたが、けして国家の神ではなかった。そして天皇家の祖霊を祀る御諸山、いわゆる三輪山での祭祀は他氏と同じ ように族長たる天皇自らが司っていたのである。そう、実は伊勢神宮が天皇家の祖霊を祀る地になっ たのは、そのかなり後になってからのことで、それまでは御諸山が天皇の祖霊の坐ます地(今でもお盆 には死者が山から帰ると言い伝えられる地域もある)であった。この「天皇家の祖霊」を「国家神」とし、 御諸山から伊勢へと遷したのは、思金命を祖とする中臣氏であった。古来より、中臣氏は忌部氏と共に 祭祀を職掌としいたが、両氏が祭祀してきたのは「国の霊(いまだアミニズムが抜け切らない自然と一 体になっている神)」で、けして天皇家個人の祖霊ではなかったはずである。ところが、いつしか「天皇家 の祖霊」は「国家の神」となり、両氏はこれを祭祀するようになっていたのである。中臣鎌子が中大兄皇 子の側近となり名を藤原鎌足に改めた頃から、不十分であった「大王」から「天皇」への移行を完全なも のにするため、様々な試みがなされている。「天皇家の祖霊」を「国家の神」と成すべく、中臣(藤原)氏 が奔走したのもその一端であったと見られる。
まず、今までの歴史を再編することからこの作業は始まった。天皇家の始祖を「日の光の神=アマテ ルの神」とし(これは元々そう云われていたのかもしれない)、これを天上の最高神にした。と同時に『ア マテラスオオミカミ』と改められた神の名は、天皇家の祖霊に付けられた名前でもあった。この神を、三輪山から伊勢へと移したのもこの頃である。なぜ伊勢か?疑問はあるが、太陽神を日の昇る地、どこよ りも早く日が拝せる地に祀るのは自然な考えであろう(鹿島神宮も香取神宮も海が近く、東が開けてい る。)。元々伊勢は磯部氏の所領であったが、天皇家に献納され(というより壬申の乱で取り上げられ た)、条件がよいとして遷宮の地と白羽の矢が立ったらしい。わざわざ遷宮させたのは、天皇家の神か ら国家の神へと変貌させるため、旧来染み付いた「祖霊」の記憶から切り離す意図があったのだろう。 三輪山は「大王家の祖霊を祀った地」の記憶を払拭するかのように、大国主命の和霊「大物主命」を祀 り、のちに大田々根子(大三輪君)の一族にこれを祀らせている。寺山修二が「書き換えられない過去 はない」といったというが、まさに天皇家として新たな一歩を踏み出すためにすべての過去は都合の良 いよう書き換えられた。この功が認められてか、すでに奈良後期に中臣氏は朝廷で祭祀をつかさどる 神祇官で重きをなし、平安初頭には神祇の官位を独占しいたため、他氏の介入は皆無となっていた。 これを憂いた斎部広成は『古語拾遺』を著し、史書の誤謬を指摘し、古来からの職掌の重要性を説き、 中臣氏の専横の非を論じたが、その後も改善は見られなかった。(少々脱線をする。この祭祀を司った 中臣氏と忌部氏、あるいは軍事を司った大伴氏と物部氏(衰退ののちに佐伯氏)など特定の職掌には 必ず専らとする家が二つある。これは天皇が新たに即位するたびに斎王が入れ替わるように、各職掌 の家も入れ替わったため「二家」あるのではないか。時代が下るとその制度自体も明確さを失い、上記 のようなことが起こったのである。膳部を任されていた安曇氏と高橋氏の争いも『高橋氏文』の上奏にま で発展している。)
「天皇霊」は稲の霊である。このような見解もある。なぜ「大嘗祭」に天皇霊を降ろすのか、という疑問に 対し、かなり傾いた答えではあるが、納得できる点も多く存在する。
天皇はまず「神人共食」をし、その身に天皇霊を降ろす。そうすると、本朝でもっとも強い「ケ」の塊で ある天皇霊は、天皇の身の中に充満する。「ケ」をたくさんに取り込んだ天皇はこれを小分けにし、「幣 帛」にこめて、これを各地に配布する(奉幣)ことにより、ケが枯れていた各地に天皇霊が撒かれれ、国 はまた再生するのである。(民俗学講義になってしまうが、ここでいう「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」は今一般 化されている「日常・非日常」の考え方とは違っている。「ケ」は一種のエネルギーであり、生活をしてい るとだんだんに減ってくる。これが涸れて無くなると「ケ・ガレ」の状態となる。この状態を元に戻すため、 「ハレ」を作り、「ケ」を集め取り込むのである。)つまり天皇霊がケガレを回復してくれるのである。
戦後まもなく、昭和天皇が各地を巡幸したことがあった。この行為は荒野となった日本の国土を「反 閇」して清め、天皇霊を撒くことで「ケ」で満たそうとしたのだとみられている。
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